File No.46■ジャック・イン・ザ・ボックス



 幼いボクに、パズルの楽しさ、物事の論理的な考え方をおしえてくれた叔父が、東京出張の折りに、ふたつのおみやげをもってきてくれた。ボクは、そのとき、就学前の五歳だった。
 ひとつは手品の小道具。赤い玉が指の間でふえたりへったりする『シカゴの四つ玉』。1875年にフランスの奇術師ドコルタが考案した古典的スライハンド・マジックでこれは叔父の実演つき。
 もうひとつは玉チョコレート。ひとつひとつが透明でカラフルなセロハン紙で、両端をねじって、つつんである。
 あぶなっかしい奇術師の手元を上目づかいにみながら、包みをくるくるとひらくと、チョコがすごい勢いでとびだし、奇術よりもこっちの方に驚いてしまった。
 ちいさなバネを、台紙と空洞になったチョコ型半球金属の間にひそませてあるびっくりおもちゃだったのだ。これは、昭和初期からあったものらしい。 びっくり箱の種々のパターンを、実物でおしえてくれたのも、その叔父だった。

 1918年、東京は浅草生まれで『黄金バット』などで知られる紙芝居作家にして大衆芸能ほか評論家の加太こうじさんの著書によると、日本でびっくり箱が製造され売りだされたのは、明治24年だそうである。紙製の箱のふたをあけると、とたんに玩具の猫などが顔をだして、同時に音をたてる仕掛けのびっくり箱だった。

 赤いつまみのクランクをまわすと、軽快な音楽がながれはじめ、一曲おわった瞬間、上部のふたがはねあがり、道化師がとびだす。
 ジャックがひそむ箱は、いつ頃、誰がつくったのだろう。

File No.45■箱のなかのオマケ



 パンドラの壺や龍宮城の玉手箱の昔から、何がはいっているのかわからない箱が目の前にあれば、誰だって、なかをのぞいてみたくなるでしょう。
 お菓子のなかにオマケをいれるという発想は、洋の東西をとわず、古くからあったようです。
 11世紀からフランスに伝わるパイ菓子、ガレット・デ・ロワ。新年にたべるこのパイのなかには、そもそも、そら豆(フェーブ)がいれてありましたが、いつの間にか、現在のような陶製のミニチュア模型がいれられるようになりました。
 江戸時代の『がらがら煎餅』。瓦せんべいの四角い生地を三角におりたたみ、ふくらみをもたせて焼いたなかに、ちいさな玩具がいれてありました。わると、なかから今土焼の鬼の面、動物や人形があらわれます。
 さて、販売促進策としてのオマケがいれられた最初の量産製品は1886年アメリカにおける紙巻タバコあたりでしょう。オマケは野球カードで、タバコがおれないようにいれられていた厚紙でもありました。いろいろなお菓子のオマケの最初期は、カードという例がおおいようです。『クラッカージャック』にも、1915年から野球カードがいれられました。
 写真のおもちゃ『クラッカージャック』のオマケは1950年代頃のもの、日本製です。
 磁石を心棒にしたこのコマにヘビの形の金属片を近づけると、すいつけられたフチが、心棒との摩擦で駆動されるので、にょろにょろと前後にうごきます。歯車の形の鉄片を近づけると、くるくると細かに回転します。
 昔日、こどものボクは、このおもちゃで、日がな一日、夢中であそんだものです。



File No.44■水兵ジャックと犬のビンゴ



 1958年に出版されたトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』の原作にそんな描写はありませんが、61年制作、監督ブレイク・エドワーズ、脚本ジョージ・アクセルロッドの映画では、主人公ホリー・ゴライトリーと作家志望のポール・バージャックが、ニューヨーク五番街にあるティファニー本店を訪れる場面があります。予算10ドルまでという若い買物客ふたりに慇懃(いんぎん)な応対をする老練な店員、この場面でのやりとりは印象にのこるものでした。
「実は、これに、字を刻んでもらいたいのですが」
 ポールがポケットからとり出したのはお菓子『クラッカージャック』のオマケ、おもちゃの指輪でした。
「当店でお買い求めいただいた品物ではございませんね。異例ですが、文字のご注文をいただければ、何とか、明朝までには」
 ポールがどうしてそれを持っていたのか、きちんと伏線があって、それより前の場面で、その経緯が描かれています。
 そして、この指輪はラストシーンにも登場します。

 クラッカー・ジャック、このキャラメル・コーティングの甘いポップコーンが売り出されたのは1893年シカゴ万博、ワールドフェアでのことです。販売促進策として、箱のなかに、ちいさなおもちゃを入れはじめたのは1912年からですから、江崎グリコのおもちゃに先んじること5年以上前、大正元年のことです。
 映画では、オマケは箱のなか、白いちいさな紙袋にていねいに入れてありました。ビデオテープくらいの大きさの紙箱で、当時は12セント、現在、価格はかわっているでしょうが、箱絵キャラクターはかわらず、昔もいまも水兵ジャックと犬のビンゴです。

 写真のMLB野球カードは野茂英雄とロジャー・クレメンス、2004年トップス社製、ノスタルジックな馬車や自動車は、昔のオマケではありませんが、左上の黄色い箱は、古き良き時代、最初期のクラッカージャックのサプライズ・インサイド、当時のオマケです。(この話、次回につづきます)



File No.43■シンバル・モンキー



 外国映画を見ていて、オープニングに、いきなり日本製のおもちゃ、シンバルを打ち鳴らすサルが登場して、驚いたことがあります。スクリーンには、うつぶせに寝そべって、こどものようにサルのおもちゃに見入る青年が映しだされています。
 初公開は1955年?理由なき反抗?のジェームス・ディーンです。主人公の孤独、疎外感をうまく描写した魅力的な導入部だとおもいました。
 その“MUSICAL CHINP”シンバル・モンキーをつくったのは株式会社イワヤの岩谷氏、1949年から、主にアメリカへ輸出されました。その後?ジョッコー?の名で、仕様やパッケージの箱絵が変更されましたが、写真は、2000年4月に、初回の輸出モデルをできる限り忠実に、復刻製作した限定モデルです。
 おもちゃ探偵、物集修(もずめ・おさむ)がおもちゃにまつわる事件を解決する推理小説のなかに、このシンバル・モンキーに似た刑事が登場します。ボクの好きな登場人物のひとりです。




File No.42■移動サーカス車が消えた



 1974年11月5日付東京新聞朝刊、共同通信の記事です。
 11月2日、ホフマン・サーカス会社の“ノアの方舟”一座の団員12名、象、馬、駱駝(ラクダ)など動物30頭が5台のトレーラーに分乗してロンドンを出発し、次の巡業地オックスフォードにむかったが、予定の3日朝になっても未到着、本体と合流せず、ロンドン警視庁が沿道約96キロをくまなく捜索した。
 2日の夜に出発したことは確認されていて、わずか100キロ足らず、しかも、交通量の多いオックスフォードまでの行程で行方不明になるとは考えられないとハイウェイはもとより横道も念入りに調べられたが、何の手掛かりも、えられなかった。
 おなじ年、イタリアのフェレロ社が、なかにカプセル入り玩具をいれた卵形チョコレート“キンダーサプライズ”の製造販売をはじめました。キリスト教の復活祭でイースターエッグという卵形チョコなどをやりとりする風習がありますが、その風習を商品化したものです。食品玩具いわゆる食玩のひとつで、なかのおもちゃは創意あふれ、アメリカ以外の世界中で販売され、キンダーサプライズ・トイのコレクターも数多くいます。コレクションは特にドイツで盛んで、年2回くらいコレクター達が作成したカタログが発行されます。写真は、Circus Sorpresa移動サーカス車の全4種類、1988年にドイツのみで販売されたもので、現在、4台のトレーラーはコレクターの前から姿を消し、本国のドイツでも入手困難なシリーズです。
 さて、気になる冒頭の記事、その日夕刊に掲載された続報です。
 ロンドンからオックスフォードへむかう途中、忽然と姿を消したサーカス一座は道に迷っていたことが、4日判明した。その日の昼前、目的地のオックスフォードから、約百数十キロも離れたケンブリッジに現れた一座の騒ぎの原因は、輸送責任者が、2日、騾馬(ラバ)に頭をけられて入院したため、一座が、途中で本体とはぐれたものらしい。
 現実に起きたミステリー劇は、わずか一日であっけない幕切れとなりました。事実はウェルメイド・ミステリーみたいには展開しないものです。

 

File No.41■キのないキツツキ



 このキツツキのブリキ玩具は、旧ソビエト連邦製です。
 ゼンマイを巻きあげ、手をはなすと、文字どおり、木をつつく動作をくりかえします。

 初期作品発表の頃、ペンネームの苗字、都筑を都築とひんぱんにまちがわれていた推理作家は、一計を案じました。
 著書の奥付や名刺に、あるイラストレーションを描いたのです。
 それは、両脚をのばしてあたかも木にとまっている恰好をしたキツツキの絵でしたが、木は描かれていませんでした。
 キのないキツツキですから、キツツキの最初のキをとってツツキ、都築ではなく、木のない都筑という訳です。
 当時、推理作家と親しかったひとによると、名刺をわたすとき、こう、おっしゃっていたそうです。
「やる気のない都筑です」
 ことし7月6日は推理作家、都筑道夫、77回目の誕生日です。

 

File No.40■鈴雨 撥雨



 春雨 卯の花腐し 夕立 時雨 小糠雨 白雨 驟雨 狐の嫁入り 天泣。

 降る季節、目で見た姿形や現象を表した雨の名前は、たくさんありますが、音だけを表現した雨の名前がひとつもないことに、最近、気づきました。
 雷雨という呼び名があります。確かに、一面では音を想起させる名前ですが、純粋に音だけを表した名前ではなくて、時として、目に見える稲妻もともないます。
 たくさんの小鈴を振り鳴らしているような澄んだ音を聞かせる春先の雨、鈴雨。さながら、バチで小太鼓を連打しているごとくバラバラと音を感じさせる初夏の雨、撥雨。
 花鳥風月を愛でるこの国の先人たちは、例えば、鈴雨とか撥雨とか、そんな音を表現した雨の名前を、なぜ、遺さなかったのでしょうか。あるいは、音を表す名前は、あるのかもしれません。

 さて、写真右に写っているのは、イギリスのガーデニング用品、真鍮製のレイン・ベル、雨鈴です。
 半球の土台から七本の細長い棒が伸びていて、その先には、それぞれに、ちいさな椀なりの雨受けが、とりつけてあります。
 雨が降り始める雨を受けた七つのお椀が揺れ、互いに離れ、互いにぶつかり合い、澄んだ音を聞かせてくれます。

 

File No.39■アヒルの三輪車乗り



 小説家に文体、画家にタッチがあるように、種々のブリキ玩具にも、それぞれ、開発者固有の特徴がのこされています。
 傑作ブリキ玩具の特徴は、次の三点に要約されるでしょう。
 誇張して本質をとらえた造形のおもしろさ。多彩で微細に表現された印刷の美しさ。そして、予想外の動きへの驚き。この三点にこそブリキ玩具作家を特定する手掛かりがあります。

 アヒルの三輪車乗りを最初にみたとき、それは写真でしたが、つくったのは誰なのか、即座にわかりました。
 このファイルでも何度か紹介したことのあるブリキ玩具作家、串田恭男氏です。
 走るとき、くちばしを開け閉めして、鳴きながらペダルをこぐ大振りのアヒルは1952年の作、ほぼ半世紀前につくられたものです。高校卒業したての串田氏が、その年に創設された開発研究部というのはおもしろそうだと就職した新日工業で四年目につくりだした大ヒット作です。
 その後、彼がつくりだすことになる数々の傑作の原点が、このアヒルのなかにあります。



File No.38■一瓢たずさえ、雲にのり




 清々しい季が、めぐってきました。
 一瓢(ひょうたんひとつ)たずさえ雲にのり、行くとこ決めずに風をよびますか。
 乾燥させた瓢箪の中味は、もちろん、日本酒です。
 向かい風のなか、光の一粒ひとつぶを肴にして盃がすすみます。
 志賀直哉が書いた「清兵衛と瓢箪」という短編小説があります。十二歳の清兵衛は、小学校から帰ると、他の子等とも遊ばず町へ瓢箪を見に出掛けるか、家で瓢箪の手入れをするほど瓢箪が好きな少年です。彼が好きな瓢箪は平凡な格好のもので、品評会で見た『馬琴の瓢箪』のようなものは、おもしろくなかったようです。
 さながら作中の主人公、清兵衛が丹精こめて育てあげたような照りをみせているこの瓢箪の栓は、黒檀でしつらえてある凝ったものです。謡曲などに登場する、くめども尽きない酒壺を持った大酒呑みの猩猩(しょうじょう)が呑み疲れて大盃を抱えこむようにして眠っている様を形どった意匠が見事です。
 さて、呑みに呑んで心地よくなってきたボクも、そろそろ草の上におりて、ひと眠りしましょう。
 目をさまして、じっと空をにらんでいると、頭のなかで天地が逆さになって、空にぐんぐんと落ちてしまいそうになり、両の手で、思わず草をつかんでしまいます。
 さあ暖かい春が来た今日、草原にとび出そうではありませんか。

 草の上 目をあけぬれば空に落つ   

File No.37■シャーロック・ハウンド誕生の謎




 三十年ほど前、帰途、吉祥寺駅ビルの通路をあるいていると、とあるちいさな文房具店の奥の棚から、見覚えのある帽子をかぶった犬が、ボクの目のなかに、とびこんできました。
 紙ねんど製とおぼしき犬はホームズをイメージさせる例の帽子ディア・ストーカーをかぶっているだけではなく、名探偵愛用のキャラバッシュ・パイプまでくわえていました。
 底には、HAND PAINTEDとMADE IN ENGLANDと印刷された丸いシールが貼ってありましたから、イギリスから輸入されたものでしょう。
 ボクがこの犬を手にしたのは確かに1975年前後、1980年以前だったのは間違いないのですが、イギリスの児童文学者ブレンダ・シヴァースが、ブラッド・ハウンド犬の名探偵シャーロック・ハウンドと、親友の医師ウィンストン博士のジュブナイルのシリーズ1作目を発表したのは1980年ですから、この置物をヒントにして犬の名探偵シリーズを考えたのでしょうか。
 後年、その本を見ると、画家のフランク・ロジャースが描いたさし絵の主人公は、長い耳の上にかぶった帽子の緑色やチェック柄にいたるまで、まったくおなじだったのです。
 さて、どちらが、先なのかしらん。

「初歩的なことだよ」
 あざやかな謎解きをしてくれる1月6日生まれの名探偵は、2006年ひのえいぬの今年、152歳の誕生日を迎えましたが、何と答えるでしょうか。

 

File No.36■旗源平




「布製の旗は白地に笹竜胆と、赤地に揚羽蝶の二種類が、やや大きいのと小さいのにわかれていた。小さな木の台に、小さな纏も一本ずつ立っている」(推理小説/猫の舌に釘をうて/都筑道夫著)

 加賀十二代藩主・前田斉廣公の頃、治にいて乱を忘れぬようにと、家臣の土方常輔が創案したと伝えられています。
 お正月、松の内くらいまでの室内遊戯で、源氏と平家に別れ、敵味方が交互に賽をふって旗の争奪戦をしますが、でた目に独特の囃し言葉があります。
「二と二」は「ニャアニャア」加賀地方でいう若い娘さんのことで、「五と一」は「ムメガイチ」梅が一で、五を加賀のお殿様の紋所、梅鉢に見立て、梅鉢が一番だと最高得点になっています。
 いまも金沢地方に伝承されている遊びですが、源平合戦ゆかりの地があることから、源氏と平家になぞらえたのでしょう。
 すべて手づくりの美しいものです。
               【写真提供/中島めんや・電話076-232-1818】

 

File No.35■ガーゴイルのカレンダー




 冬ざれの寺院の尖塔、ガーゴイルたちが運命のサイをころがすごとく、ながい月日を、きざみ続けている。
 JanuaryからDecemberまでの12の月名を表示するのは拍子木切りにした細長いブロックがみっつあるから4面かける3ブロックで12、容易に表示できる。つかうブロックをふたつにしたければ、サイコロ状のブロックにすれば、いいだろう。
 しかし、日にちの方、01から31までの二桁を表示するのに、サイコロ状のブロックふたつだけで表示できるのだろうか。この万年カレンダー、日付を表示するサイコロ状のブロックはふたつだけだ。
 そこで、ふたつのサイの目を確認する前に、考えてみた。
 ひとつ目のサイコロに0,1,2,3,4,5までをかく。ふたつ目には、6,7,8,9までをかいたところで、11日と12日という日付があるのに気づいて、残る2面に、1と2を書きたす。だけど、この2個のサイコロでは早くも3日目にしてつまずく。01,02はだいじょうぶだが、03が表示できないのだ。
 それでは、ふたつのサイコロ、あわせて12面に、どんな数字をかけば、いいのだろうか。
 あわただしい暮れのさなかではありますが、夜長のひととき、ご一考ください。
(写真左方の黒い棒にのったガーゴイルふたつはメモばさみ、手前に離れてみっつ、ちいさなものはマグネット式のメモばさみ)

 


File No.34■むべ山かるた(都筑道夫旧蔵)




「百人一首が崩れて、ギャンブル用に変化したかるたで、読札は普通の百人一首、取札には下の句と絵がかいてあって、その絵がおもしろい。たとえば、『かささぎのわたせる橋』の下の句、『白きをみれば夜ぞふけにける』には、白衣の幽霊がかいてある。『村雨の露もまだひぬ』の下の句、『きりたちのぼる秋のゆふぐれ』には、坊主が桐の木にのぼっている絵がかいてある。『むべ山かぜ』の札が役札で、赤く塗りつぶしてあるので、むべ山と呼ばれているわけだ。明治にならないうちに廃れて、なにしろギャンブル用の消耗品、完全な揃いなぞ、めったにないだろう、と思っていたが、芦屋の滴翠美術館で見せてもらったときから、欲しくてしかたがなかった。ところが、京都、山城商店に、六組だけ、しまいわすれていたのが見つかった。骨董的値段のものには、手を出さないつもりでいたが、むべ山を目の前にしてはそうもいかない。最後のひと組を手に入れて、淋しくなったふところを」(1973年12月発表・都筑道夫のエッセィより抜粋)

「そうそう、かるたと言えば、センセー、京都の手づくりかるたの老舗、大石天狗堂では、ついについに、あの『うんすんかるた』を本格的に木版手刷りで復刻したんですよ。センセー、心待ちにされていましたから、いっしょに見たかったですねえ。それから、光琳の百人一首が、かつて発見されたように、葛飾北斎の、あの幻のかるたも、かならずや、どこかに秘蔵されているらしいです。ボクに探しだすことができれば、ご報告できるのですが」

 推理作家がハワイのご長女の元でお亡くなりになってから、11月27日で、早くも丸二年、三回忌です。



File No.33■鈴虫







 およそ四百年前につくられた唐津焼には、こころひかれるものがあります。割れていても、欠けていても、まったく気になりません。むしろ、巧妙な繕いに出会ったときには、顔がほころぶことがあります。
 写真の古唐津の茶碗には、蒔絵をほどこした繕い部分に、秋の虫とすすきが、えがかれています。
 さる数寄者が、「百夜通い」と銘しました。
 謡曲「通小町」や「卒都婆小町」に登場する小野小町、鈴虫の深草少将が、鈴虫の高野山の僧にさとされている場面の見立てです。
 虫の鳴き音も深まりゆく秋、仕覆をとき、至福のときをすごすべく、鈴虫をとりだしてみました。

 

File No.32■バットマンごっこ



 イギリスの英雄ロバート・ブルース、伝説上の勇猛果敢な探検家アンソニー・ウェイン、このふたりにあやかって、ブルース・ウェインと名づけられました。明るく健康的な力持ち、スーパーマンと異なり、屈折した性格をもつ翳りあるヒーロー、闇の騎士、バットマンの表向きの顔、ゴッサム・シティの実業家です。

 バットマンの原型として、原作者ボブ・ケインがヒントにしたのは次のみっつです。1920年代のサイレント映画、メアリー・ロバーツ・ラインハートの小説「BAT SWEEPER」に登場する悪役、コウモリ男のイメージ。怪傑ゾロのマスク。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの飛行機械概念図の翼。これらのモチーフから、コウモリのようなマントをまとい、腰のベルトの弾倉ポケットに種々のバット小道具や束ねたロープを装備した、あのバットマンの姿がつくりだされました。

 1939年5月、アメリカのコミック雑誌に初めてお目見えしたバットマンは、初期、その風貌から、悪役と勘違いされるくらいダークなイメージを読者にあたえました。

 サーカス出身の派手な衣装、赤と緑のコスチュームのロビンが登場したのは1940年代で、50年代になると、バットガールだけではなく、バットマイトという幼年読者向けのキャラクターも、うまれます。バットマイトは異次元世界にすみパラレルワールドを暴れまわる三頭身のちいさな妖精です。

 両手を腰にあてて、小生意気なポーズをとっているのがバットマイト、原型製作はフィギュア・アーティスト、ウィリアム・パケットです。

 その隣でロビンになりきっているのは、ご存知、マッド・マガジンでおなじみのアルフレッド・E・ニューマンであります。

 

File No.31■謎解きは、六十年後



 幼い頃、とても古い少年雑誌に掲載されていた一枚の写真をみて以来、その存在の真偽が、ずっと気になっていました。初出は1934年の英紙ディリー・メール、ロンドンの婦人科医ロバート・ウィルソン氏が同年4月19日にネス湖に浮かぶ異様な物体を撮影して同紙にもちこんだという世界的特ダネ、ネッシーの写真です。
 ボクがお墓にはいるまで、いや、その後もながい間、実体は、誰にも明らかにできないだろうと諦観していましたが、1994年に世紀の種明かしがなされ、数十年間のノドのつかえがとれる思いでした。1994年3月13日付のサンデー・テレグラフによると、ネッシーの正体は、長さ46cm、高さ30cmの改造おもちゃ潜水艦で、特殊撮影をしたものだったというのです。
 ボクにとって20世紀最大の謎のひとつは、次のような経緯で、出来上がりました。特ダネ写真発表直前に、サンデー・テレグラフ紙の依頼でネス湖畔を調査した映画制作者マーマデューク・ウェザラル氏は、そこで大きな足跡を発見して有名になりますが、足跡はカバの足でつくった傘立てをスタンプしたものだと鑑定され、新聞業界で物笑いの種にされます。すぐさま、ウェザラル氏は義息のクリスチャン・スパーリング氏に頼み、模型のネッシーをつくらせます。スパーリング氏はおもちゃの潜水艦の艦上に大ウミヘビのダミーをつくりつけ、1932年の2月か3月にネス湖に浮かべ、湖の波紋まで表現した迫力ある写真を撮影しました。写真4枚の内1枚が、あの有名な写真です。出来上がった写真は、巧妙にも、婦人科医ウィルソン氏の知人を介して、彼の手に渡り、彼の手を通して、ディリー・メール紙上で公開されたのです。
 ネッシーの実作者スパーリング氏が、1993年11月に90歳で亡くなる前に、研究者に告白したから真相が分かりました。
 ボク思うに、ウェザラル氏は、どこかの誰かの悪ふざけにまんまとのせられた自分を笑った新聞業界を自分と同じ立場に置いて、ほくそ笑んでいたのかもしれません。あるいは、大きな足跡をもつ怪獣の存在を、ほんとうに信じていたのかもしれません。ウェザラル氏プロデュースのネッシーはおもちゃの潜水艦でしたが、いまだにネッシー生存説は後を絶ちません。諸説あるなか、明確な証明は誰もしていません。いまだかつてネス湖の水を汲み、干しあげて、湖底をみたひとはいないのですから。ウェザラル氏の選択した方法は間違っていますが、真相は間違っていないのかもしれません。さて、実際にネッシーは存在するのでしょうか。
 写真は20$弱、?机上のクローン(複製)・ネッシー?です。

 


File No.30■金のカタツムリ



 小さな革袋に入っていたのは、ビー玉よりすこし大きめの直径24mmの金属球でした。
 指でつまんで、∪字溝型のレールに、そっとのせます。
 ゆるやかな傾斜をすこし転がりおりると、ぴたりと止まって動きません。かと思っていると、くいっと、わずかに動きだします。
 動いては止まり、止まっては動きだし、20cmのスロープを10分ほどかけて、移動します。
 この金属球の内部構造は、どうなっているのでしょう。
内部が空洞になっていて、水銀か何か、流動する比重の重い金属が封入してあるのでしょうか。いやいや、そうだったにしても、この小さな球体の動きの理由の説明には、なりませんねえ。
 このおもちゃの構造は分かりませんが、なまえは知っています。
 そのゆるやかな動きから、名づけられたのでしょう。
 snail ball、カタツムリ・ボール、ドイツ製のおもちゃです。
 もう梅雨明け、本格的な夏の到来ですね。

 


File No.29■誕生は、ポパイとおなじ年



 ポパイといえばブルート、ブルートといえばオリーヴ、オリーヴといえば赤ん坊のスウィーピー、スウィーピーといえば食いしん坊のウィムピー、そのJ・ウェリントン・ウィムピーが、推理作家の仕事机のかたわらに、いつもすわっていました。
 それは、推理作家自身がハワイでみつけて、もとめた陶製オルゴールです。帰国して、そのオルゴールにMADE IN JAPANと表示してあるのをみて、苦笑いしたそうです。
 底にあるネジを巻くと、夢のようにおおきなハンバーガーの上で、脚をなげだして、のんびりとくつろいでいるウィムピーが、ゆっくりと回転し、おなじみのテーマ・ソングが流れます。

 アイム・ポパイ・ザ・セイラーマン。
 アイム・ポパイ・ザ・セイラーマン。
 アイ・イートゥ・ザ・スピナッチ・アン(ド)・
 ファイトゥ・ザ・フィニッシュ。
 ポパイ・ザ・セイラーマン。

 サミイ・ラーナー作詞・作曲のこの歌詞を教えてくれたのは、推理作家です。推理作家は、友人で作家の田中小実昌さんに教わったそうです。
 澄んだきれいな声で口ずさんでくれたのが、昨日のことのようです。7月6日生まれの推理作家は、ポパイがコミック・ストリップに登場した年とおなじ1929年に生まれました。

 推理作家の名前は、都筑道夫です。
 センセー、お誕生日、おめでとうございます。

 

File No.28■未確認思考物体

 白い紙箱の上蓋をとると、保護用フランネルにくるまれた銀製のオブジェが現れます。ティカップの受け皿ふたつを銅鑼のように重ね合わせたそれは、もじどおり銀のどら焼きといった面持ちで、両の掌にのるくらいの大きさです。片面に、ちいさく丸くUFOVNI・DALLEGRET、そのなかに二行、DISK、76 0348と刻まれています。
 さて、参りました。このちいさなUFOは、一体、何なのでしょう。
 着想、デザインは、1937年生まれのFrancois Dallegretだとおもいますが、その用途、正体を確認することができないのです。
 大振りのペーパーウェイトでしょうか。
 あるいは、宇宙のはるか彼方におもいを馳せる書斎のなごみグッズでしょうか。
 どなたか、ご存知の方は、以下宛てにご教示くださいな。
horilyn88@ybb.ne.jp
行く春にこんな話題も一興かと、今回ばかりは、おもちゃ探偵お手上げの巻です。


 

File No.27■茶籠もて野遊びに

 よほどの凝り性のひとが誂えた道具なのだろう。
 よく見かけるシンプルな茶籠に、凝った根付と緒締がつけてある。
 野だて用携帯セットの茶道具だからだろう、根付は、茶運び人形の図柄。
 籠の口を締める緒締は、茶運びの絡繰り部品である木製歯車の上に巻鍵。緒締は、ほかにもうひとつ、絡繰り人形が運ぶ盆があって、のせてあるのは酒器のひと揃い。なるほど、お茶以外のものも運んでもらいたいという願いなのだろう。
 小粋な古裂、間道をつかった籠のなかには小棗と茶碗、平戸、中野焼の染付楼閣山水文が仕込んである。全面貫入がはいった小振りの卵殻手で、こころ落ち着く名品だ。
 茶籠の反対に吊ってある竹筒のなかには、茶筅とふたつ折りの茶杓が入れてある。
 お湯は野原で沸かすことにして、腰に茶籠を提げて、手にはお弁当を入れた籐籠、暖かくなったので、野遊びとしゃれ込みますか。


 

File No.26■アクション・フィギュア


 ガレージ・キット、原型師、フィギュア、マニア間でつかわれている言葉ですが、関節可動人形、アクション・フィギュアの嚆矢はGIジョー、バービー人形あたりでしょうか。
 これまでにスーパーマンにバットマン、スパイダーマン、座頭市に中村主水、アンディ・ウォホールにMADのアルフレッド・ニューマンなどなど古今東西の映画やアニメのヒーロー、ヒロイン、有名人、種々のアクション・フィギュアがつくられましたが、この人物のフィギュアはついぞ見かけませんでした。でも、世界のどこかでは、誰かがつくっているだろうと思っていました。世界中のホームズ・ファンの皆様、お待たせいたしました。
 シャーロック・ホームズのアクション・フィギュアの登場です。インバネスにディア・ストーカー、パイプにルーペの必須アイテムも付属しています。このメーカーは、なんとエドガー・アラン・ポー本人や、シェークスピアそのひとも製作しています。
 ちなみにホームズ研究者の間で、彼の誕生日は1854年1月6日だというのが定説ですが、没年は、明らかにされていません。
 というのも、彼等彼女等の間では、ホームズはいまだに死んでいないからです。

 

File No.24■ブックエンドと電気スタンド

 W.ディズニーの“わんわん物語”は、粉雪がちらつくクリスマスの夜にはじまります。
 1955年アメリカで公開されたこの映画が、日本ではいつ封切られたのか知りませんが、60年代にボクと妹が観たのもクリスマス・シーズンでした。洋画封切り館があったアーケードの通 りに、あのジングル・ベルの音楽があふれるように流れていた記憶があります。
 映画を観て帰宅した妹の小さな座机の上には、新しい本立てと電気スタンドが仲間入りしました。遅い夕食をとったデパートの文具売り場で、目ざとく、それを見つけた彼女が、親にダダをこねて(自己中心的な妹の主張では、少し早いクリスマスのプレゼントとして)買ってもらった“トランプとレディのブックエンド”と、お揃いの電気スタンドです。
 シックなチェック柄のシェードを被った白熱球の台座にスコッチテリアの“ジョック”がちんまりと立っていましたが、長い年月の間に本体はこわれて、焼き物のジョックだけがのこりました。物事に頓着しない、というより、何事にも飽きっぽい妹が、古ぼけたからと処分しようとしていたのを母が見かねて、手元に保存しておいたものです。

 

File No.24■ミシェル・ルグランの銅細工

 あたかも紙のように銅板を切りぬき、曲げたり捻ったりして作品が仕上がっていきます。
「展示会場に、もちろん、すべてをミシェル・ルグランがつくった一際おおきなチェスのセットが飾ってあってね。堂々たるチェスメンで、これが、ひとつひとつ実によくできているんだ。ボードがダイニング・テーブルくらいかな。ほしくなったけど、家に持ち帰ってもおいておくところがないから、結局あきらめて、この海賊を買って、帰ってきたんだ」
 そのときの残念そうな推理作家の顔をおもいだします。
 ひと抱えある海賊を手にすると、たったいま推理作家から聞いた銅細工の巨大なチェスセットが、目の前に3Dで立ち上がりました。数十年前の話です。
 変わったおもちゃが好きだった推理作家は、晩年まで身辺にいくつかのおもちゃをおいていましたが、銅細工の海賊は、お気に入りのひとつでした。
 推理作家のなまえは、都筑道夫。
 推理小説のほかたくさんのエンターテインメント作品を遺した作家の新しい小説を読むことができなくなって、おもちゃの話ができなくなって、11月27日で一年が経ちます。

 

File No.23■キャラクター・ミニカー

 1960年代はダイキャスト・ミニカーの黄金時代だった。なかでも、子供達、あるいは、かつて子供だった人達を喜ばせたのは英国コーギー社製のキャラクター・ミニカー、映画やテレビ番組に登場する劇中車のシリーズだっただろう。事前に版権交渉を終え、007のジェームズ・ボンド・カー、ナポレオン・ソロとイリア・クリアキンのオールズモビル・スーパー88、バットモビール、グリーン・ホーネットとカトウのブラック・ビューティなどなどがつくり出されている。写 真のミニカーもキャラクターのコーナーにおいてあったのだが、本体にも箱にもキャラクター名がまったく書かれていない。おそらく、版権料を支払わなくてもいいように、明記していないのだろう。コーギー社製ではなくフランスでつくられたもので、プジョー403の1/43モデルである。イタリアのピニンファリーナがつくったフランスの名車の運転席側ドアにはよれよれのレインコートが無造作に掛けられ、後部座席にはバセットハウンド犬が乗って、主人を待っている。
「お忙しいとこお邪魔してすみませんが、誰が乗っているクルマなのか、どなたか御存知では。あ、ウチに帰って、あたしよりクルマに詳しい、ウチのカミさんにきいてみます」

 

File No.22■スパッド・ガン


 ボクの利き手は左手なので、生のジャガイモを右手にもつ。いま右手にあるのが弾丸だ。
 銃口をイモにぷすりとさして、えぐりとるようにぬく。これで、弾込めの完了だ。
 一気に、引き金を引く。
 小気味よい音とともに、芋弾が、飛びだしていく。
 1959年、ハリウッドのE.J.コスマン社製のスパッド・ガン、ジャガイモ鉄砲である。
 単発銃ながら、鉛色をした鋳物で、手どりは重い。
 かつて縁日でみた“山吹鉄砲”とおなじ原理で弾を飛ばす、いまはほとんど、どちらもみかけない、昔日少年のヒーロー・グッズである。

File No.21■招かない猫



 梅雨どきは、鬱陶しくて何もしたくない。毛づくろいだってしたくないし、目をとじて、じっとしていたい。いわんや、店先や箪笥の上にすわって、片手をあげるなんてをやだ。
 陶磁器の里、伊万里市大川内の林道途中に、満天の星がふってくるような谷あいがある。
 ここHoSHINoTANI KiLN、星の谷窯に百姿百態の猫が暮らしていた。陶器や磁器の猫で、しぐさの一瞬を、よくもかくの如くうまくとらえたものだと、うなってしまった。
 猫を見る眼差しがやさしく、あたたかい。陶芸家は現在、人ふたり犬よにん猫はちにんの倍々家族である。土にむかうときには目の前にいる猫ではなくて、頭のなかをしなやかに歩く猫をみて、自在に土を手びねりして、色をほどこす。窯から生まれてきた猫たちをみて目を細めていると、金目銀目の三毛猫とはいわないまでも気立てのよい猫といっしょに暮らしたいという永い年月の間、封じこめていた気持ちがとびだしそうになる。
 猫の招き方は、実は三種類ある由。右手は運招き、左手なら人招き。それでは、両手は。
 答えは、お手上げだそうな。いやはや、鬱な梅雨が、さらに鬱陶しくなりましたので、ひさ方ぶりに晴れた梅雨の夜空でも、みあげてみますか。

 

File No.20■WHERE, WHOWDUNIT どこで、誰がどの凶器で、殺したか

 ― 名探偵 容疑者集めて、さて諸君 ―
 1841年ポーによってつくられた新しい形式のエンターテインメント、推理小説は、1920年代になると、こんな戯れ句に詠まれたような、大団円形式が定着します。
 現在でも年間75万ユニットが売れているボードゲーム“クルー(手がかり)”の原型は、30年代の“Mr.Ree”ほかいくつかの紙製ゲームで、その後、アンソニー・ブラッドがデザインしたものがウェディントン社から“CLUEDO”として発売され、その版権を買ったパーカー・ブラザース社が、クルーとして発売しました。まるで、本のなか、推理小説の世界へはいりこみ、自分が名探偵となって殺人事件を解決するというこのゲームは古くからあるカード遊び“家族合わせ”に、推理するという楽しみを組み合わせました。
 1962年Ronald Barkerは、このゲームを“CLUE FOR MURDER”という本にしました。
 1985年Jonathan Lynnは、このゲームをそのまんま“CLUE”という映画にしました。

 

File No.19■吹き上げサーカス・カー

 英国推理作家ネヴィル・スティードは、アンティーク玩具商を営む“ピーター・マークリン”物語を7冊上梓していて、シリーズ3作目“CHIPPED”に、このおもちゃが登場します。ハード・カバーにかけられた美しいカラー・ジャケットにも、画面 いっぱいに、12cmほどの、このサーカス・カーが描かれています。
 動力は電池ではなくゼンマイだけのクルマには、独創的な仕掛けがあります。実に巧みに、トランペット状の煙突の上の宙空に、ちいさな玉 を浮かしつづけながら走るのです。
  製作年:1959年
  製作元:吉屋(菱形のなかにKOの商標)
  製作者:大久保恵司(1916年 4月 8日生まれ)
  開発者:須藤 素康(1927年12月28日生まれ)

 

File No.18■チャター・オブ・ザ・リング



 昔むかし、ソロモンは指輪によって動物と話すことができたという、例えばロバとでも。
 現在でも、そんな指輪さえあれば、誰でもがそれを実証することのできる魔法のセットが、ここにある。それは小振りの煙草パックくらいの箱に入れてあり、中には素っ頓狂な表情をした灰色のロバ一頭と、摩訶不思議な黄色い指輪が、ひとつだけ。
 指輪をはめ、おもむろに顔に近づけると、それまで無口だったロバは、突然、雄弁に語りはじめる。指輪を激しく動かすと、ロバも興奮した面 持ちで、過激に答える。
 ドイツが、東西ふたつの国に別れていた頃、ずい分前からある西ドイツ製のマグネットおもちゃである。

 

File No.17■ポルシェ博士のスポーツ・カー(ドイツ製おもちゃ)

 寒風が吹きすさぶ午後、運転中土砂降りの雨になっても幌をつけずに防寒具とゴーグルで疾駆してこそオープン・カーの醍醐味です。そんな事を夢想させるおもちゃであります。
 日本のブリキ玩具のルーツは江戸のからくり人形ではなく、20世紀初頭に完成されたドイツ製のプロトタイプです。1912年ニュールンベルグにおいて、シュライヤーとミューラーの二人によって創業されたSCHUCO(Schreyer&Co.)は、戦前、数々の独創的なおもちゃを作り出してきました。10cm強のこのクルマもその内の一台で、ゼンマイで走り、なんとアイドリングや四速のギア・チェンジができて、ハンドブレーキもあるのです。
 ドイツの古いおもちゃのなかに、おもちゃのすべてがあります。

 

File No.16■ 推理作家のコレクション(追悼 都筑道夫師)


 推理作家、都筑道夫の初期作品に、珍しい置き時計が登場する。
 階段のかたちをした和時計で、最上段に唐子の人形が立っている。その人形が、一時間ごとに一段ずつ、でんぐり返しをしながらおりていって、十二時間たつと、今度は逆に上へのぼっていくからくり人形の時計である。
 日本橋の人形町、時計専門の骨董屋のショウ・ウインドウに飾ってあるという描写 を読んだボクは、丸一日、人形町を歩きまわって、モデルになった店を探したが、見つけることができなかった。
 ボクは、大学受験のために九州から上京したて、本番を明日にひかえた高校生だった。
「あの骨董屋さん、ほんとは、どこにあるんですか」
 公衆電話の受話器からは、答えが聞こえた。
 当惑したような、微笑んでいるような、それが、はじめて耳にする都筑センセーのおだやかで澄んだ声だった。
 その日以来、センセーを訪ねては、たくさんのおもちゃ、カード、ゲーム、小説、落語、映画の話などを聞いた。表面 上は、奇抜な変なもの、変わったものがお好きだったと思われているセンセーですが、伝統的なものや新しいモダン・アートもお好きで、本物、本格、本寸法のアートの本質を見抜く眼力は、凄まじかった。
 写真は、センセーのコレクションがいくつか写っていますが、後方のカラフルなガムボール・マシーンは、それを描いたポスターがMoMA(ニューヨーク近代美術館)にも保存してあるもので、センセーの甥でCFディレクターをしているひとが、CMフィルムの小道具として特注でつくったもの。ボクと同い年の彼は、よくセンセーの仕事場で遭遇して、いっしょに、センセー、あるいは、オジキ(叔父貴)から、おもちゃや映画の話を聞いたものです。
 ボクが書いている推理小説、おもちゃ探偵シリーズのなかに、ピーカンというニックネームの人物が登場しますが、彼がそのモデルであり、彼には、松岡という実名で登場してもらっています。
「コージさん。まだまだ、センセーのお話をいっしょに聞きたかったですねえ」

 

File No.15■ ダーティ・ドッグ (追悼 都筑道夫師)

「湾岸戦争で圧勝したアメリカ大統領が、降参した知恵の輪があるらしいよ。確か、新聞に載ってたけど、手に入らないかしら。おもちゃに詳しいキミなら、探し出せるでしょう」
 十二年前、自宅宛に、推理作家の都筑道夫センセーから電話があった。
 依頼者は、半世紀以上もの間、探し出すことにかけては凄腕の名探偵達を、紙上や舞台、画面 上に創造し、世に送り出しつづけた都筑センセーである。
 ボクは、戸惑いながらも、AP通信の新聞記事を探し出した。
 その記事によると、ニューヨーク州在住の知恵の輪職人ドン・フリズリッド氏がつくった“ダーティ・ドッグ(いやなヤツ)”という名前の知恵の輪が、それだった。
 名前からして、はずす手順が複雑な、難しい知恵の輪なのだろう。
 ブッシュ大統領の頭を悩ませ、解答をほしいと手紙を書かせたというふれ込みである。
 当時、ボクはインターネットという手段をもっていなかったけれど、ここまで具体的な糸口が見つかると、後は、何とかなりそうな予感がした。
 しかし、蛇の道はヘビィ。ダーティ・ドッグの足跡を見つけたもののその後の二日間、そのシッポすらつかむことができなかった。あるきっかけで、シッポをつかまえることに成功したボクは、三日目に、現地アメリカからのファクシミリを受信した。
 New YorkのEast Setauketに住むDon FrislidとDennis Suckskyふたりが製作者。
 待望の現物は、大統領がDec.30,1990の日付けでCAMP DAVIDから送った白旗を掲げた手紙のコピーを添えて、手元に届いた。
 センセーの依頼から、ちょうど十日後だった。
 そのことがあって、ボクが書いていた推理小説の主人公、おもちゃ探偵・物集修(もずめ おさむ)は現実世界に存在できる、リアリティとアクチュアリティを持たせることができると、意を強くしたものだ。
 いま、ボクには、センセーがこの世界にいらっしゃらないという実感はない。
「こんなおもしろいおもちゃがあるらしいけど、キミ、探し出せるかい」って、センセー、また、気軽に、連絡してください。
 ボクは、いつも、いつでも、いつまでもいつまでも、待っています。

 


File No.14■スライディング・ブロック・パズル、タングラム

 1870年代、簡単そうで、やってみると難しいパズルが、世界中で爆発的流行。14と15だけを入れ替えて元にもどすというものです。出来た人には、当時の価値ある千ドルが賞金でしたが現在にいたるまで手にした人は一人もいません。百年後、サム・ロイド考案のこのパズルが刺激となって、エルノー・ルービックは大流行したキューブをつくりました。
 大きな正方形を大小七つに切ったピースを様々に並べて影絵をつくって遊ぶタングラムは、日本でも清少納言の智恵板と呼ばれ江戸時代からあるもの。その紀元は中国の七巧板。
 秋の夜長はパズルでもというのは、人々が夜を夜らしくどこまでも真暗な闇として実感していた古き良き時代の事、隔世の感があります。

 

File No.13■TOMOE AME 2

 1972年、アメリカにおいて、ある市民運動が起こります。子どもが、おもちゃなどの鋭利なフチで手を切って危険であるという、いわゆる、シャープ・ペリル運動です。それ以来、TOMOE AMEのおまけは乗り物やNINJA(忍者)などのコミック・シールに入れ替えられ今日にいたっています。
 それまで、それまで、消しゴムくらいの小さな箱には、どんなおまけが入っていたのでしょう。
 初期プラスティックでつくられた昔の野球選手達。裸馬に跨った勇敢なインディアンや騎兵隊。海賊の宝物に、保安官のバッジ。オリンピックの各種目を描いたワッペン風のブリキ・バッジ。変な格好のロボットや、バットマンの指輪。入れ歯などのジョーク・トイなどなど。
 なかでも、当時、アメリカの子ども達の目を、一層、輝かせたのではないかと思わせるおまけがあります。それはアメリカ合衆国発行のコイン、裏にケネディ、表に白頭鷲をレリーフした俗に“ケネディ・イーグル” と呼ばれる50セント銀貨を模したおまけです。1964年発行の刻印があります。
 もちろん、銀ではなく、プラスティックの黄色や青色のコインなのですが、おまけの箱を開けて、それを目のあたりにした子どもの誇らし気に上気した赤い顔が、目に浮かぶようです。
 彼の輝く瞳には、それが本物の銀貨にうつっているのです。

 

File No.12■TOMOE AME 1

 小さな箱に入ったおまけつき菓子で有名なのは、グリコにカバヤ、古くは紅梅キャラメルといったところでしょうか。実は、そのほかにも、半世紀以上もの間、日本でつくられ続けているのに、ほとんどの日本人が知らない有名なおまけつき菓子があるのです。
 箱の表は、デンデン太鼓を持った腹掛け姿の赤ん坊と、日本古来のお神輿が、浅葱色上に描かれ、裏は、富士山を背景に踊る獅子舞の絵です。
 昔色づかいで、ノスタルジックな意匠です。
 TOMOE AME(RICE CANDY)。成分表示、製造年月日、賞味期限も、すべて英語で表記してあるこのモチモチ飴は、現在はハワイにおいて、かつては、アメリカ本土でも販売されていた有名なおまけつき菓子なのです。
 テレビCMでもおなじみで、TOMOE BRANDのライス・クラッカー、あられと共に人気商品のこの飴は、ハワイのスーパーマーケットやドラッグ・ストアなどで普通 に買えます。
 さて、そんな話より知りたいのは、お楽しみのおまけなのですが、箱を開けると、どんなおまけがとびだすのでしょう。
(この話、次回につづきます)

 

File No.11■びん詰めの帆船

 それは、陸の上ではなく、長い航海のつれづれに、大男のセーラーがつくったボトルド・シップだった。極端に細くなったびん入口の外から内部のマストを立ち上げるために必要だった内緒の操作糸を始末せずに、種明かしをしているのは彼の大らかさだ。
 数ある外人専用バーの店名はみな横文字で、その頭文字をAからZまでそらんじて、ない店はないと言われた朝鮮動乱期からKに飾ってあるそれをねだる酔客もいたが、ママは取り合わなかった。ひとのいい製作者が店を訪れ、なくなっているのを知ると落胆するからである。
 しかし、アメリカ軍がベトナムに軍事介入した1963年以降、彼がKのドアを開けることはなかった。
 半世紀が過ぎ、KATY BAR(ケーリ・バー)は閉店した。
 アメリカ海軍の基地があるちいさな街、この街はSASEBOという横文字表記の名前も持っている。

 

File No.10■豆抱き人形と雛の桐箪笥


春ノ日クルル
ワリナサニ
ションボリ立ツタ
オ人形ハ
身ヲクネラセテ
消ユルガニ
ヤルセナイヨナ
ソノ瞳


 昔の梅雨は長かった。雨は、いつまでも降り続きました。
 果てしなく幾重にも重なった天空に貯えられた水は無限で、止む事はないように思われました。そんな日は、絶望に怯えながらも外に出られないから、家の中で、お人形で遊びます。
 上記の詩は明治37年熊本阿蘇生まれ、昭和初期に佐世保で活躍した南国詩人、中島義佐(よしすけ)作の“人形”です。
 北原白秋や野口雨情たちとも親交を結びましたが、梅雨明けを待たずして早世した若くて正直な詩人でした。

 

File No.9■ポンポン船


 爽やかな風が吹き、水がぬるみ始めると、ボク達は夏休みを待てずに小川を目指した。
 半ズボンの両方のポケットには、ブリキの船と台所からこっそり持ち出したマッチ箱が入っている。ピンクの細いストローで蒸気船に水を入れ、ロウソク燃料に点火し、息をひそめて待っていると、ズジジという音と共に船は動き出し、ポンポンポンと勢い良く水面 を滑り始める。実際の焼き玉エンジンの音をうまく実現したものだ。
 ボクのからだはその船に吸い込まれ、目の前に広がる大海原を想像して、軽いめまい、船酔いさえ覚えたものだ。大きくなった今も、本質は変わっていないらしい。まだ遊んでいたいと夜の海に漕ぎ出し、酔う癖は直っていないし、時折、暗礁 に乗り上げる事もある。

 

File No.8■なめくじ長屋、捕物チェス
(都筑道夫氏「第六回 日本ミステリ大賞受賞」を祝して )

 




 四十年前、西九州の書店で都筑道夫の異色捕物帳を立読みした多感な中学生は、モダンでおしゃれなパズラーに呆然自失となり一瞬にして狂ってしまった。それから二十年後の1984年作品に対する熱狂的な思いを具現化して見立てチェスまでつくってしまった。
 なめくじ長屋の面々は、実生活では貧乏長屋住まいなので、せめてこの時くらいはと、続きなめくじの紋所をいれた漆塗りの四段お重仕立ての箱に収められています。
 蓋を裏返し中央に置き田の字にお重よっつを伏せるとチェスボードの出来上がり。
 ご存知の登場人物たちが紙面から立ちあがり、推理合戦をするという趣向です。相対する敵のキングは夏目半九郎、クイーンはおんな砂絵師。なめくじ連の駒は役者ふたり足りなかったので、作者ご自身にもご登壇ねがい、読者代表として末席にボクもいます。





 

File No.7■なめくじ長屋、砂絵師ねつけ
(都筑道夫氏「第六回 日本ミステリ大賞受賞」を祝して )

 幕末、神田の巣乱街に奇妙な砂絵師がいた。掌の間から自在に落とす五色の砂で、地面 を書場簾がわりに見事な絵を描きだすのだ。板額門破り、あるいは鯉つかみの金太郎など。
 珠とり海女の足もとに龍を描き足そうとした時は、描く前の龍が雲を呼び、雷鳴が轟いたくらい砂絵の迫真力は凄まじかった。いましも地面 に描いた大蛇がいのちを得て立ち上がり、鎌首もたげて蛙をひと呑みしようとしている。が、しかし、蛙は前足で見物人にすがりつき助けを求める。見物人、即ち、なめくじ長屋の住人、カッパである。という事は、この根付、おろち、蛙、なめくじの三すくみの顰みも含んでいるらしい。
 江戸黄表紙の流れを汲む名人推理作家、都筑道夫の異色捕物帖なめくじ長屋捕物さわぎ、中心人物のセンセーを転作印して象牙を彫り崩したのは、現代根付作家、英文。とんでもない依頼を請け、構想を経て、完成にいたるまで十年以上かかった労作である。

 

File No.6■アメリカの人気者(キングコング、ポパイ、ドナルド、プルート)

 日本に進駐したアメリカ軍は、生活必需品11品目の中のひとつに玩具を指定していた。敗戦直後の秋、日本政府はこのままだと来春には全国で一千万人の餓死者が出るだろうと頭をかかえていた。ところが、GHQ経済科学部マンスン大佐の命令により玩具を大量 にアメリカへ輸出する見返りに小麦その他食料の輸入許可、更にアメリカ軍から大量 の缶詰他の食料放出が約束されたのだ。おもちゃが、日本人の食糧危機を救ったのである。
 その後、安価で高精度の日本の労働力に舌を巻いたアメリカの大手玩具メーカー、ルイス・マークス社等が、漫画やディズニー他の資料を手に出向き、全面 的に製作を依頼した。
 大敗を喫した日本は、その後すぐ、創造力と技術力でおもちゃ戦争に勝ったのである。

 

File No.5■ピエロ:バイオリン弾き・玉乗り・スケーター・三輪車

 誇張しつつ本質をとらえた造形、リトグラフ印刷の細かい彩色、意表を突く愉快な動き、傑作ブリキ玩具の魅力はこの三要素につきる。世界中に熱狂的なコレクターがいるが、スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニー、故スティーブ・マックイーン等がマニアックなコレクターとして有名である。特に人気の高いブリキ玩具はスリーフィンガーと呼ばれ、三本指を立てたトレード・マーク、海外の カタログ雑誌TPSの略号で知られる50年代後半の東京プレイシング商会製の玩具であるが、考案開発はすべて一人の手でなされた。先に紹介したブリキ玩具作家、串田恭男氏である。
 大きいスケーターは手づくりの復刻版。それを手にとったポール、GREATと叫んだ。

File No.4■天正カルタ

 日本にはじめてトランプが伝わったのは十六世紀末の大航海時代、ポルトガル人達によって持ちこまれたイタリア系カード48枚1組のものでした。当時の日本人は、そのカードのコピイ版をすぐに作り上げました。この和製トランプ第一号を天正カルタといいます。
 波宇(棍棒)古津不(聖盃)伊須(剣)於宇留(貨幣)の四種類が各々十二枚で構成され、札の順番はA(龍)、2、3、……8、9(10の札はなくて)女従者、騎士、王となります。
 揃いで現存するものは遺っていませんから、写真のものは伝統製法により、手づくりで復刻したものです。古来、雪月花の移ろいの中で暮らしてきた我が国の人々は、季を大切にして、トランプ遊びもお正月だけの風物であったそうです。

 

File No.3■クリッター

 24日はクリスマス・イヴ。数十年前、翌朝早くに目を覚ますと、枕元にお菓子の詰まった赤い紙製長靴があった。うれしくて親の枕元へ報告に行くと、チョビ髭付き鼻眼鏡と派手な紙製とんがり帽子やクラッカー。昨夜は、父も楽しいひと時を過ごしたようです。
 さて、写真の、これ何って感じのおもちゃは、チコ・ビカーロがつくった四本の針金脚を持つ、いたってシンプルなゼンマイおもちゃ。MoMA(ニューヨーク近代美術館)にも保存されているものですが、25日の朝、二日酔いの頭を支える枕のそばに、こんなおもちゃを誰か置いてくれると、すでに無垢な子供ではないのに、いまだにうれしいんでしょうね、ボクは。 誰が置いていくのかって。もちろん、サンタのおじさんですよ。


File No.2■ユニヴァーサル映画の怪物たち

戦後、ルイス・マークス社の依頼によってつくられた河内正雄氏のブリキ玩具、フランケンシュタイン。台座の上で数歩あるく動作をしたかと思うと、突然ズボンがずり落ち、派手なパンツが見え、内蔵した赤い豆電球により赤面 した表情となる。1950年代の作。
黒い箱の方は、1972年のポインター・インターナショナル社製のドラキュラ・バンク。実は、このアイデアには素晴らしい先例がある。60年代初頭、アメリカのベル電話研究所が考案したものだ。スイッチをONにすると蓋が開き青い手が出てきて、とここまでの動作はドラキュラ貯金箱と同じで、貯金箱はこの後、コインをつかんで引込む実用的なものだが、プロトタイプはスイッチをOFFにして引込む。只それだけのおもちゃである。



File No.1■ピエロのローラースケーター

ピエロは携帯電話くらいの大きさで、ゼンマイを巻き上げ手を離すと、前傾姿勢になり、片足を蹴り上げながら真っ直ぐに滑り始めます。と思っていると、不意に向きを変え、あちらと思えば、またこちら。その時、素早い動きの一瞬に顔の表情が変化して見えるのです。
独創的な プロトタイプを作ったドイツの玩具職人にもつくり出せなかったおもちゃ。見ている者に目にする動き以外の動きを見せるブリキ玩具。ピエロのローラースケーターをつくった玩具職人は無意識の内、金属のこの小さな機械に感情を吹き込んだのです。
1956年2月1日、25歳のブリキ玩具職人、串田恭男の誕生です。彼は今年72歳の現役で、現在も、かつて子供だった人達のために新しいブリキ玩具をつくり続けています。

 

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